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香山リカ氏は売名上手か

橋下市長が「香山氏は、一回も面談もしたことがないのに僕のことを病気だと診断してたんですよ。そんな医者あるんですかね。患者と一度も接触せずに病名が分かるなんて。サイババか!」とツイートしたのが発端で、ついに先日1月27日の朝まで生テレビ(録画だけど)で討論に至った香山リカ氏。

この人の印象はなんかのゲーム雑誌(ファミ通だっけ?)にコラムを書いていた程度の認識しかないのだけど、今ネットでニュースを追いかけるとこの人の名前を見ない日はないくらいになってしまいました。
そして、この記事を書くことで、自分自身もこの流れに一役買っちゃってるわけですけども、超微力故、それはあえて気にしない方向で。

正直、彼女の言い分は支離滅裂で、ツッコミどころ満載であるが故に、ネット上では話題になって彼女の書く記事も抜粋などではあるが目につきやすくなりました。
この支離滅裂発言をわざとやってるとしたらものすごい売名上手だと思います。

さて、一つ一つツッコミを入れていくと、すごいことになってしまうので、多少の引用とツッコミを入れつつ、なぜこんなに支離滅裂になるのかを考えてみたいと思います。
例になる事柄の時系列がバラバラになっているのは、お許しを。

まずは、2012年1月27日(28日早朝)の朝まで生テレビ中での「教師が君が代を歌えば犯罪率が下がるんですか?」発言について。
これはソースを用意できない(動画サイトを探せば見つかるかも知れないけど著作権法上保障されている引用の範疇を超える気がする)ので、テレビを視聴した時の記憶を頼りに文脈だけとります。

橋下市長の言い分は、「教師がルールを守っていると見せなければ、子供はルールを守る必要を感じないから、犯罪率が増える(可能性がある)。卒業式で君が代を立って歌うという業務命令には従ってもらうし、それができない教師は研修を行い、それでも改善されなければ免職する」といったもの。
先の東京都での最高裁判決を加味した内容に若干切り替えてきました。

それに対する香山氏の発言が、上記「君が代を歌えば云々」となるわけで、詭弁にすらなっていない支離滅裂加減なんですが、そもそも橋下市長はこの条例において、「君が代」についてこだわっているわけではなくて、「業務命令違反」についてこだわっているので、反論と呼ぶに値しません。
思想の自由を振りかざして業務命令に違反することが許されるかと言えば許されないと考える人の方が多いでしょう。
そして、幸いこの国に住む人たちには思想の自由の他に、職業選択の自由があります。
なぜ思想・信条として従いたくない業務命令が存在する職業を、それも競争率の高い公立校教師という職業を、わざわざ難関を抜けてまで選択するのか、に対する論理的説明もできていません。

もちろん、橋下氏自身のイデオロギーから来ている条例であるかも知れないことは否定できませんが、仮にそうであっても、理屈としては、「業務命令違反をする教師に教わって子供がまっすぐ育つのか」という至極当然のものがそこにあるので、なんら正当性を欠くものではなく、これに論理的に対抗するのはとても難しいことです。

そして、香山氏の件の発言となるわけですが、ここまで飛躍させないと対抗できない(対抗すら出来ていないというのはこの際おいておいて)というのは、大阪の教育基本条例反対に明確な理屈や論理が存在しないことになります。
ただの口喧嘩レベルです。
大体、因果関係の証明がほぼ不可能なことを持ちだして、正論を覆そうとする姿勢が間違いです。
だから支離滅裂でツッコミが入れやすくなるんですね。
人気(?)の秘訣です。

まあ、これはリアルタイムに話をして、自身が発しようとする言葉に対して熟考もできない状態ですから、つい口が滑った的な仕方ない部分はあるとして、次に、おそらくは自身の主張を整理し、推敲して書いたであろう文章を例に出してみましょう。
こちらはダイヤモンドオンライン2012年1月30日掲載分から引用で、

「では、現状のままでいいのですか」と言われ、「いや、そうは思わない」と答えると、「じゃ、代案を示してくださいよ」とさらに言われます。
しかし、精神科医である私にそんなことができるはずもないし、その権利もありません。

私は、「改革はすべてダメ」と言いたいわけではなく、「改革の先の社会の基本的な軸を示してほしい」と言っているのです。
それは、公務員が何人減るとか、塾に行くクーポンが何枚配られるとか、そういうことではありません。「とにかく競争力ありき、実力者だけが生き残れる社会」なのか、「みんなで痛みを分け合ってでも誰もが安心して暮らせる社会」なのか、そういったことです。

といった彼女の記事(引用元:http://diamond.jp/articles/-/15901?page=2)。

この代案を示せ、と言っているのは橋下市長ですが、香山氏に代案を出す権利がない、そんなことはないはずです。
彼女の場合は、ただ、何にも考えていなかっただけか、それが出せない別の何かの理由があったかだけです。
代案は、ただの一般市民である我々にも出す権利はあります。
それを実行する権利がないだけです。
実行する権利を得るために議員になる、それができない人たちが、その権利を代行してくれる人を自分たちの代表として選出するのが民主主義における選挙です。
だからこそ投票は義務なのであって、義務を放棄した人間に権利を主張する資格はありません。

よしんば、この主張が正しかったとして、彼女は昨年の大阪市長選で平松氏の選挙応援演説に駆けつけてました。
その権利がないのなら、この応援演説をする権利もなかったことになりますし、あるいは、代案(つまり自身の政治的主張)もなしに、対立候補の政治主張に賛同していたという、自己矛盾を引き起こすことになります。

そもそも論にはなりますが、彼女は権利と義務について、はき違えています。
彼女には橋下市長の政策を公に批判・否定をする権利があり、その権利を行使するに当たって代案を出す義務が発生するのであって、著書やテレビで公に批判するという権利を行使した以上、代案を出すのは「権利」などではなく、この場合「義務」なのです。

「改革の先の基本的な軸」についても、大阪都構想で示しています。
各論はさておき、本質論としては、無駄を省いて、住民自治・住民による選択の出来る社会です。
つまり、「みんなで痛みを分け合ってでも誰もが安心して暮らせる社会」です。
第一、そんな具体性のかけらもない何をやるか分からないような美辞麗句だけで納得できるのなら、討論する意味も意義もありません。
我々有権者が為政者に望むのは、そうした社会を作るために「どうしていくか」を示し、実行してもらうことです。
そして、それを示したのが橋下氏であり、示さずに観念論だけに終始したのが平松氏です。
だから平松氏は負けたのです。

「とにかく競争力ありき、実力者だけが生き残れる社会」については話になりません。
競争のない世界はありません。
極論にはなりますが、競争をなくしたいのなら、受験戦争なんてものをなくして、全員、東大に入れてあげればいい。
競争の上に「みんなで痛みを分け合ってでも誰もが安心して暮らせる社会」が成り立っているのです。
だから両者を比較対象とすること自体ナンセンスです。

話がちょっとずれますが、公務員改革や議員定数削減が声高に叫ばれるようになったのも、彼らの給与が税金から出ているからです。
住民税なども合わせると、納税者の年収の20%以上が税金として徴収され、そのうちの一部が彼らの給与となるわけですから、そもそも民間平均所得とされる数値よりも高い水準の給与を彼らがもらっていては、破綻するのは当たり前です。

二重行政もこの問題に深く関わっていると言えますが、そうした無駄を省いて、その分を住民サービスに還元していこうとするやり方だけでも「みんなで痛みを分け合ってでも誰もが安心して暮らせる社会」を目指していることが明白です。

最後にこんなものを出しておきます。
ツッコミ(反論というのもバカバカしい)のためのソースが確かではないので、例としては最も古いわりに最後にもってきましたが、こちらもダイヤモンドオンライン2012年1月23日掲載分で彼女が書いた記事の引用です(引用元: http://diamond.jp/articles/-/15769?page=2)。

橋下さんに関する私の発言を指して、橋下さんは「会ったこともない人を精神病呼ばわりしている」と批判されています。

ネット上でも同じような批判が書き込まれていますが、これだけははっきりと申し上げておきます。

私は、橋下さん個人が病気だとは言っていません。

これは冒頭に書いた「サイババか!」に対する彼女の抗弁ですが、彼女の言い分としては要約すると「橋下氏に対する市民や国民の熱狂、そうした《橋下的なもの》が加速して切り捨てられる側の痛みが怖い」ということです。

橋下的なものってなんだよ、っていうツッコミを脇へおいて、これが事実なら橋下市長の「サイババか!」発言は的外れとなりますが、実際は彼女の共著「橋本主義(ハシズム)を許すな!」の中ではっきりと病名まで書いているらしいです。
らしいというのは、これが橋下市長が朝まで生テレビ中で付箋を沢山貼り付けた同著を出して、「なんたらパーソナリティ障害(こういうことに疎いので病名は失念しましたが)と僕を結びつけて書いている」と言われたからです。

「ハシズム」なんていう下らないレッテル貼りから始まっているような気味の悪い本など、個人的にページをめくることはおろか手に触れる価値すらないと思っているので、読んだことも読む気もないですが、結局香山氏もそれを認めてしどろもどろになっていたところをみると確からしいです。
これがソースが確かではないという意味です。

病名まで書いちゃってたら、もう病気だと断定してるじゃないか、と。
こんなもの言い訳にすらなっていませんね。

では、なぜ、こんなバカげた主張や抗弁・行動を彼女はするのでしょうか。
彼女自身はおそらく、頭の悪い人ではないはずです。
にも関わらずこんなに支離滅裂で、自己矛盾を起こすようなことをやってしまうのでしょうか。
論理的にどうしても辻褄が合わないことをやっていると気付かないのでしょうか。

ここからは、個人的な推測でしかありませんが、結論から言えば彼女は気付かずにやってます。
気付いていれば、頭のいいはずの彼女が、自己矛盾も甚だしいこんなにもバカげた記事を書くことはないでしょう。
というよりも、彼女の考えはおそらく別のところにあります。

それは単純に、「橋下氏が嫌い」であること。

嫌いな理由は分かりません。
イデオロギーの違いからかも知れません。
自分の既得権益(があるのかどうか知りませんが)を壊されそうだからかも知れません。
単純に今一番トピックになりやすい人気者であるからかも知れません。
また、本人がそう気付いているかどうかすら分かりません。

それを隠そうとして、あるいは自分自身認めたくなくて、理論武装をしようとするから支離滅裂になるのです。
だから「代案を示せ」と橋下市長に言われても代案なんて出せないのです。
ないものが出せるわけがありませんね。
代案があるから批判しているのではなく、嫌いだから批判しているの証左と言って良いでしょう。

「嫌い」という感情論を隠すために読者に論理的に正しいと感じて貰えるような内容を書いて、その場をしのごうとするから、サイババになってみたり、持論では持ち得ないはずの権利を行使したりしてしまうのです。
だから、自己矛盾にも支離滅裂さにも気付いていないで、これなら自己正当化に成功し、読者を騙せるだろう(本人は騙すつもりはないだろうけど)、とこんな記事を書いてしまうのでしょう。

あいつが嫌いだから反対、なんて言ったって、誰も聞く耳持ってくれないことくらいは誰にだって分かりますからね。
理由があって橋下市長の政策に反対しているのではなく、反対するための理由を探して論を述べるから、ハシズムなんてレッテルで貶めて、病名まで書いて橋下には賛同するな!(ちなみに面識もなく=診断したこともなく病気と判定するのは医師法だかなんかに反するそうですが)、と訳の分からない著書から始まって、それを取り繕うために、一貫性のない変な記事を書くハメになるんですね。
要するに、何を論じようと、どう言い繕おうとも理屈ではない部分が透けて見えるのです。

他の反橋下市長陣営の方々も同様で、論理的に討論することも出来ず、「それは嫌だ」とか感情論を振りかざすだけだから理解を得られないのです。
橋下市長を支持する人が多いのは、ただ話が分かりやすいから、ではなくて、香山氏のそれとは真逆に主義主張が一貫しているからです。
さらに、それを行うための政策に筋が通っている上に信念を持って実行する姿を既に見せられていて、かつ、その主張が支持者と大筋で同じであるからなのです。
分かりやすくても、筋が通らない話をし始めたら、そっぽを向かれることでしょう。

しかしながら、冒頭に書いたように、これを意識的にやっているとしたら彼女は相当な売名上手です。
これでネットでもかなり名が通ったはずで、また朝まで生テレビに出演する機会をこうして一度増やした(またギャラももらったことでしょう)わけですし、他の大学教授などとは違って、本業が精神科医らしいので(どこで医療行為をしているかなどの実態がよく分かりませんが)、彼女の言動に安心感を覚える患者も一定数いるでしょうから、この支離滅裂さによるダメージよりもメリットの方が大きいようにも感じます。

ただ過激性のある人気者に噛みついているだけだとあまり話題にならないでしょうが、そこにツッコミどころ満載の支離滅裂さを加えることで、瞬く間に話題の人となるわけです。
精神科医と公言して大丈夫な資格を有するはずであるほどの頭脳の持ち主なのですから、これが故意だとしてもおかしくないですね。

香山リカ氏おそるべし!(皮肉ですよ、もちろん)

教育基本条例案反対?

大阪W選挙結果に絡んでの話ですが、教育基本条例案に反対する輩の気持ちがさっぱり分かりません。

反対という人は、ことさら子供が犠牲になるとか言い出すわけですけど、現状で、すでに子供が犠牲になってるから、こんな下らない法案を出さなきゃいけなくなったんじゃないの?

大体、正式な式典において、国歌たる君が代を歌えないとか、起立の必要もないとか、そんな国内に限らず、国際社会においても非常識で恥ずかしいことに子供が洗脳されるなら、教師のわけのわからないプロパガンダを禁止して、職務規程に従わせるしかないという、とてもネガティブでバカバカしい条例案なんです。

反対反対言う前に、そんな条例案を出さなければならなくなってる現状を恥と思えよ、と。

おいらは自虐史観の中での教育は受けてはきましたが、幸いにして、そういう頭のおかしい教師には出会わなかったので、君が代も歌えますから、国歌斉唱が必要な場において恥をかかなくてすんで良かったと思います。

プロパガンダを押しつけたいなら、公務員として国や市から給料をもらって、国に仇なすような卑怯なことをせず、私人として、民間でやれっつーの。
教育の場でプロパガンダを叫ぶような輩のやりたいことは、子供が自国を嫌いになるように洗脳することだと簡単に分かるでしょう。
そして、子供なら洗脳も容易だってことでしょう。

自分が帰属する国家や社会を唾棄して生きていくことは不幸です。
子供たちのことを考えるなら、この国に住んでいて良かったと思えるような教育をしていくべき(何も、良いことばかり言う必要はなく)であって、過度な自虐史観を押しつけて、国を嫌いにさせてはいけないと思います。

それをできない教師がいることが問題なのであって、そういう問題のある教師が淘汰されていくのなら、この条例案は必要だと思いますし、出さざるを得なくなった苦肉のものだと思います。

大阪W選挙

開票開始時間とほぼ同時に当確が出るとか、すごい選挙でした。

個人的には、今回の結果には満足してます。
大阪府民でも市民でもありませんけど。

関西圏というのはやっぱり大阪がキーで、ここが元気にならないと周辺都市も元気にならないです。
仕事をしていると京阪神間では大阪の仕事が圧倒的な量ですので、大阪が経済の鍵なのは実感として確信しています。

今までのままでは、おそらく大阪はいつまでも日本第二の都市でありながら、いつまでも景気浮揚しないで景気回復の足を引っ張り続けていたと思います。

これを機会に、なにか変わって、ひいては京阪神間を中心とした関西圏がより明るくなればと思います。


今回の選挙で異様だったのは、公示期間中に最終的には橋下氏の人格批判にまで及ぶネガティブ報道が行われたことです。
こういうのって公職選挙法違反にならないんですかね。

そんな中にあっても勝利された橋下氏、本当におめでとうございます。


自分もそうでしたが、若者ほど選挙に無関心で、誰がやっても一緒といった感覚で投票行動をしないというのは、すごく逆説的で、こうして選挙によって10年後、20年後の未来が変わるかも知れないわけですから、老い先短い年寄りよりも、若者ほど、少なくとも自らの、もしかしたら自分の子供達の将来のために、きちんと選挙や政治に興味を持ち、有権者として、その候補者の理念を理解・勉強して臨まなければならないのだなと、強く実感した選挙でもありました。

もちろん、今後どうなるか、変わるのか変わらないのか、良くなるのか悪くなるかは分かりませんけど、少なくとも、今のままでいいのでなにもしませんというような候補者を選ばなかったことに異議があると思います。

政権交代をしたときの選挙と全く違うのは、甘言に騙され、政策などに関係ないところで評価し、変えていこう、景気を良くしようという人々すら貶めたのではなく(当時、今のままでいいから具体的にどうしますというのは言わないといった候補者はいなかったはず)、候補者のビジョンが、「今のままでいい(つまりビジョンなし)」と「変革(都構想)」という明確なスタンスの違いに対しての選択だったことでしょう。

大阪の人々の選択が、よりよい方向に関西や日本を導くことを願って。

ガンダムAGEの否定に思うこと(完全に愚痴)

いやまあ、ただの愚痴なんですけどね。はい。

相手「ガンダムAGEどう思う。オレは〜でダメだと思うんだけどそう思わない?」
おいら「」

みたいな感じでね。
どうも不快になるのですよね。

確かに、前回の記事で否定的なことは書きましたよ。
でも、それは例えば、「ガンダムである必要があるか?」とか「ガンダムなんだからこうあるべきなのにそうじゃないからクソ」とかそういうことでの否定ではないのですよ。

ただ、作劇において、緊張感にかけるデバイスを出してきたことに対するものであって、それは現実の時代の流れとしては出てきそうなデバイスではあるのだけれど、有り体に言えば、主人公がピンチになってハラハラするような展開が望むべくもないことに対するものであって、決して「ガンダムはこうあるべき」という前提に基づいたものではないのです。

(過去のガンダムの)記号をなぞったらだめ、と前回書いたのはそういうことです。

孤島や雪山の密室みたいなシチュエーションで恐怖を煽るようなサスペンスなんかでは現実の携帯電話の登場が、その緊張感をなくしてしまったことで、なんとかこじつけて携帯電話を使えなくするとか、使えても警察などが到達できない足かせを作るとか、そういう工夫をしているのとは真逆なわけですから、不安が募るわけです。

まあ、あの超デバイスが故障してえらいことになるという話も考えられなくはないのですけどね。

それはさておき、この否定論者の物言いが不快なのは、「ガンダムとしてどうなの?」という至極狭量な観点から同じガンヲタなら同意するだろうという傲慢さが透けて見えるからなのです。

「ガンダムとしてどうなの?」なんてのは、お前が考えてるだけのスタンダードでも何でもないエゴの世界だと気付けよと。

しかも、こういうことを言うのがまた、ファースト直撃世代ではない若い世代にもいるのだから始末に負えない。
んなもん、ファースト直撃世代の我々から言ったらZから徐々に壊れ始め、平成のアナザーガンダムで完全に壊れてる話で議論に値しない。
「あんた、若いのに頭堅いんだね?」としか言えない。

否定する意味でなくて例に引き上げると「Gガンダム」。
あれ完全にガンダムでやる必要があるのか、という話でしたけど、それなりにファンはいるでしょう。
「ガンダムとしてみなければ面白い」なんて意見もありますけど、あれが最初に見たガンダムだったら、その人のガンダムとはなんぞやみたいな感覚ってファースト直撃世代やSEED世代とは全く違うものであっても不思議ではないでしょ。
いや、Gガンダムは面白い作品ですよ?ほんとに。ラブラブ天驚拳にはテレビの前でずっこけましたけどもwそれを差し引いて尚ね。

じゃあガンダムらしさってなんなのよ?

「主人公が戦争を通じて葛藤しながら成長していく物語」?
「リアリティのある戦争描写」?
「勧善懲悪ではないリアルな人間を描いた物語」?
「イデオロギーの対決をリアルに見せること」?
「安彦良和氏の描くようなキャラクターデザインであること」?

そんなもん、くそくらえですよ。
そもそも、こうして列挙してみた当人のおいらでさえ、こんなこと信じてない。
そうじゃないガンダムなんてもうすでに過去に存在してて、なおかつ、そのガンダムが好きって人がいるでしょうに。
そういうことを言う人に不快な気分になるのは、だってそれお前が考えた最強のガンダムと何が違うわけ?ということなんですよ。

SEEDでさえ、もう小学生で直撃した世代が成人するほどの年月が過ぎたんですよ。
そのときのガンダム体験(という恥ずかしいフレーズを誤解を恐れずに使うと)で得たガンダム観を大人になった今、勝手に構築してガンダムとはこうあるべきなんて、それこそちゃんちゃらおかしい話ですよ。
SEEDから入ってその他のガンダムを見た人間が構築したガンダム観と、ファーストから続けて見てきた、もっというならガンプラブームを直撃してきた人間の構築したガンダム観が同じであるはずがない。

第一、AGEはまだ始まったばかりでどう転ぶかも分からないのに、そういうガンダムらしさに期待できないからダメとかいっちゃっても仕方なくない?
だってそもそもそのガンダムらしさからして主観でしかなくて、主観と想像に基づいたことを他人に押しつけてどうすんのさ。
ぶーたれるんなら一人でやってろよ、それにガンヲタだからってだけでこっちを巻き込むなよ。

さきほどのGガンダムから入って、ガンダムって面白いなって思って、それで他のガンダムも見てみようってなるのなら、それはそれでいいことだと思うんですけどね。
更に、それで宇宙世紀ものや、他のアナザーセンチュリーものも面白い!となってファンになるのなら素敵なことだと思うんですよ。
このGガンダムをAGEに置き換えても同じことで。

もちろん、AGEが最後まで見てくだらない作品だったら、それはそれで自分の中で消してしまうだけのことで、そもそもすでに最後まで見た結果がくだらない作品だったガンダムだってあるわけ(でもそのガンダムのファンはやっぱりいるわけ)で、もうそんなことはどうでもいいんです。

だって、ファースト直撃世代のおいらはガンダムらしさにこだわって否定するような、そんなことはもうとっくに通り過ぎて、過去の自分の狭量さに気付いてしまったのだから。
それだけの年月を経てガンダムというコンテンツは良かれ悪しかれ量産され続けてきたのだから。
同じ否定するのなら、「ガンダムらしさ」ではなく、作品そのものの面白さにおいてです。

「ダメという前提を共有して話そうぜ!」みたいなのは非建設的だからやめて欲しい。いや割とマジで。
あれがダメ、これがダメ、どこそこがダメ、と粗探しばっかしててもつまんないだけでしょ。
なんでわざわざそんなストレスを抱え込むためにあんなアニメごときを見てるのよ。

じゃあ、「お前はAGEどう思ってんの?」と問われたら、「まだ判断しかねる」と応えるしかない。
まだ面白いとも面白くないとも判断できるほどに作品について理解が出来ていないから。
だってまだ2話が終わったところだもの。

おいらなんかは深く物事を考えないので、ファースト(ガンプラブーム)でファンになって、ZZまではただガンダムであることだけで興味を持って、しかも疑問も持たずに面白かったくらいで、「ガンダムとはなんぞや?」なんて問いながら見てたりはしなかったし、そういう見方をし始めたのはある程度、歳を取って二十歳とかそのあたりで考え出したこと。
そりゃ、モビルスーツが変形するとかありえん!とかそんなことは考えたりはしましたけども。

いいじゃん、子供向けに思えても。
その子供達が楽しんだ結果、また君たちと同じように別のガンダムを見てファンになったり、もしかしたら将来別のガンダムを見て同じようにクダを巻いてるかも知れない、ただそれだけのこと。

だって子供の時はガンダムを子供向けだとか大人向けだとかそんなことを第一に考えては楽しまなかったでしょ?
楽しめないのなら見る必要なんてない。
楽しめないことを楽しむために見るのなら、それで他人を巻き込むな。
バリバリのガンヲタは楽しめないと思っているのはあなただけで、バリバリのガンヲタで楽しんでいる人もいるかもしれないのだから。

せいぜいこうしてブログやツイッターなんかで独りごちってればいいことなんだよ。

ガンダムAGE 2話感想

第2話視聴。うん、笑った(笑)

まあ、個人的にはSEEDのキャラ絵がものすごく気持ち悪くて大嫌いで、それでSEEDの個人的評価も下がってる(最後まで見たらもうそんなことは些細なことになったけど)ところもあったから、AGEのキャラに拒否反応をもって、否定的な色眼鏡から入ってしまうことについては理解できます。
実際、SEEDの時は強烈な嫌悪感から否定的な色眼鏡で見て、1話から大して面白いとも思いませんでした。
序盤はそこそこ面白いと評価されてるというのにね。

だから、ストーリーに引き込まれるような内容であれば、もう絵なんてどうでもいいと考えて、できるだけフラットな気持ちで1話は見ました。
1話については別に周囲の評価ほど悪くもなく普通に見られる、今後次第と思いました。
ちなみに、おいらの周りのガンヲタたちは総じて1話からもう完全否定してます。

2話については、ここからネタバレになりますので続きに書きますが・・・

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イーモバイルの料金体系は納得できない

イーモバイルのスーパーライトデータプラン契約をして1年になる。
2年契約なのであと1年は我慢しなければならないが、正直料金に関しては、公式ページに載っている内容では納得できないので、解約はしたい気がする。

http://emobile.jp/charge/superlightdataplan.html

スーパーライトデータプラン、月額基本料1400円となっているが、契約種別がにねんMの場合。
にねんLだと2400円、にねんMAXは2900円。
これらプランはみな無料通信分が1000円(MyEMOBILEをみるとなぜか適用分は953円が上限。モバイルルータの電源を入れるだけで3円分がふっとぶ)で、何が違うのかさっぱりわからない。
ちなみにうちはにねんMAX。

仕事の都合上、たまに外でiPod touchを使って通信をするために持っている程度なので、使い放題である必要もないし、月額は安ければ安い方がいい。
そこでスーパーライトデータプランを選択したわけだけども、契約種別の差とかなんだとかなんだかよく分からないうちに契約をすることになって「あれ?こんなに高いの?」となったのはのはおいらがアホなのは間違いない。

けど、そうした契約種別について、なぜそれでなくてはならないのか、またなんの差があるのか、ということについてちゃんと説明があるべきだったとは思う。

なんで月額基本料が倍以上なのに、無料通信やパケット単価が全く一緒なのか、そこにどんな意味があるというのか。
多分、端末購入料金がのっかってるんだと思うんですけどもね。

高い高いといわれるドコモなんかはこういうところはきちんと基本料に従って差別化されているから、少々値が張っても納得して使えているがどうもこの料金体系は詐欺臭い。

おいらの場合は情弱と笑われても仕方ないのだけど、これからイーモバイルと契約しようとしている人は、事前に契約種別や料金体系をよく調べて、契約時に騙されないようにしてほしい。
なんらかのガジェットが無料になるとかで安く感じて家電量販店などで契約することはあるかもしれないけど、そのためになんだか分からない料金プランで契約させられることのないように。

まあ、品質とかについては問題を感じてない・・・というより、充電回数が片手の指でも余るほどしか電源を入れたことがない(1度の充電で使える時間はたったの2時間程度なのに)ので、問題を感じることも出来ないだけかもしれないけど、2年を迎えたら1度解約して新たに使い放題で契約するか(プラン変更だと割引がかからないよと契約時に説明されたので)より安いプランに変更できるならする、できないなら解約する方がいいかなあなんて考えてます。

慎重さによる否定の否定

ちと真面目な話を。

企画会議なんかをやっていると、自分含めて経営者的立場の人は大体、「とにかくやってみよう」というなんともいい加減と言えばいい加減な発言をしてしまう。
そこには確固たる論拠や、やもすればなんの勝算もなかったりするわけで、博打打ちと大して代わりはない。

で、大体雇用者側は「それは無謀です」「それはできません」とできない理由を出してくる。
いや、実際、できない理由を導き出す方が圧倒的に楽でしかも正確。
だって未来のことについて成功する保証なんてどこにもないわけで、否定する方が簡単なわけ。
こういう人たちのことを我々は評論家なんて揶揄することもあるのだけれど、他人のアイデアに対して論評だけはいっちょまえで潰していく方向には長けていて、かつそれが前述の通り正確であるが故に、他者を巻き込んで否定の空気を作り、アイデアを出したものが孤立していく。

それは慎重さによる否定で、考慮に値する重要な意見ではあるのだけれど、そんなことは実は誰だって分かってる。
アイデアを出した当の本人にだって分かってる。

だけど、今あるリソースにしがみついて生き続けるというのは、特にIT業界では難しい。
人間の三大欲求に直結するものは未来永劫、とまでは行かなくても少なくとも本人が生きている間は需要がゼロになることはないけど、IT技術なんて一般化・廉価していくし、なにかしらの打開策を常に練っていなければ、需要が限りなくゼロに近くなる。

ホームページの作成なんて、今やちょっとパソコンが触れる人ならば簡単にできるではないか。
15年前と比べ、その価格は10分の1以下に下がってしまっている。

デザインについても、もうしっかりしたテンプレートができていて、それに当てはめるだけでできてしまうCMSなんかも無料レベルで使えるわけで、それでは満足できない少数の人々がプロのデザイナーの作る専用のデザインを求めるだけ。
ゼロにはならない(かもしれない)けど、ただCMSを使うだけの仕事は安いし、それで喰っていくのには厳しい。
個人的には、いずれ大多数の人がCMSによるページ作成くらいは常識になり、そんなものに金を払って買おうとする需要はゼロになるだろうと思っている。

これだけ沢山の人がパソコンを「使う」ようになったのも、ただBASICが搭載されていた時代のパソコンでは使える人が限定されていたけれども、誰でもが使えるようになるためのGUIによるOSが搭載されたパソコンに変わってきたからで、それは誰もが道具としてやりたいことができるようにしていこうとする流れの中にあることだから、ホームページビルダーより簡易なCMSなんてものの登場なんて流れとしては当然で、ホームページ作成の今以上の一般化、あるいはアプリケーション制作の一般化にまでも突き進んでいく(そしてそれがごく近い将来に訪れる)ことは想像に難くない。

三大欲求を出したので身近な飲食業を例に挙げると、これは需要がゼロになることはないかわりに、飽きられるということはある(美味い店であるという前提で)。
飽きられないように、新しいメニューを模索し続ける必要はあるが、ITほど何かが陳腐化して食うに困るようにはならないという程度の違いこそあれ、新しいことはやっていかないといけないのだ。

だからこその企画会議だったりするわけで。
そこで否定から始まっても何にもならない。
だから経営者的センスというか、それなりに儲かってる人というのは「とにかくやろう」精神から始まるわけだと思う。

しかしながら、サラリーマンを選んだ人というのは、安全策を選ぶ人でもある。
だからこそ、安全策をとるために慎重さによる否定を繰り返すのになんら疑問はないし、それは正しい。

このあたりの意識の乖離というのは、また別の意味で非常に厳しいものとなって表れてくるわけだけどそれは別の話。

経営者は乱暴に言えば明日も同じように糧を得られない確率が高い道を進んで選んだギャンブラーである。
だから、できない理由を探すより、根拠は薄くてもできる理由(というより方法)を探す。
故に「とにかくやろう」精神になる。

経営者、雇用者それぞれどっちが正しい道であるかなんてのはナンセンスだけど、自己の生き残りについて、より真摯であらねばならないのは雇用者ごと巻き込んでしまうという意味において経営者側で、そのために常に新しいことを模索する人ほど成功に近い人である、とは言えると思う。

で、慎重さ故にできない理由を探すのであれば、同時にそれを克服する方法を導く方が遙かに建設的である。
しかしながら、それはまた困難な道でもある。

自分の力では「できない」ことであれば、「できる」人を引っ張ってくる方法を考えれば良い。
あるいは「できる」ようになればいい。
成功するかどうかについては、どのみちギャンブルなわけだから、成功の確率をあげる方法を考えればよろしい。
その困難さはおいておいて。

だから、慎重さによる否定の否定を繰り返している。
うまく形になるのはほんの一部なのだけれども。

ビール

いきなり引用

ちなみに「ビールが嫌いな人の理由」として一番多いのは「苦いから」だった。

とはいえ、初めてビールを飲んだ時の印象が「とてもおいしい」のはわずか9.4%。つまり、ほとんどの人はおいしくなかったのだ。

http://tf.digital-dime.com/entame/datewatching/11/08/post_169.htmより

そうでした。
今では一晩中飲み続けることさえ出来るほどビールが美味しいと思っていますが、初めて飲んだときは苦くて不味いと思ってました。
友人と飲むときもビールは持て余してました。

旨いと思うようになったきっかけは、真夏の昼間、某所を歩いていたのですが、ものすごく暑くて喉もカラカラで、たまたま目の前にあった自販機で試しに250ml缶を購入してみて飲んでみたとき。

もう驚くほど旨くて・・・ってそういう場合は水でもスポーツドリンクでも美味しいのだけれど、なんか別世界を感じたのですよ。
驚きと共に一気に飲み干してしまいました。
喉が渇いているときは旨いよ、というのを誰かから聞いていて試してみたんですけどね。

あれ以来、ビールを旨いと感じるようになったんですね。
ビールはのどごしだとかよく言いますが、まさにそれ。
舌で味わうと言うよりは喉で味わう感じ。

もちろん、舌でも味わってはいるのですけどね。
それぞれのビールで味そのものに好き嫌いはありますから。
いや、好き嫌いではなく、好きかそう好きでもない程度の差で嫌いってのは、ほとんどないんですけどね。

味がほとんどなく苦いだけのものから、酸味が強いものまで色々です。

そんなおいらのベストビールはキリンの「一番搾り」。
ついで、アサヒの「熟撰」かな。
サントリーの「エビス」も嫌いではないです。

外国産のは、ほとんど飲む機会がないので、好みに当たったことはないです。

ま、こういうものは不味いと思うものを無理に摂取する必要は感じないので、人に勧めたりはしませんけど、ちょっとしたきっかけというか探求心で世界ががらっと変わることもある、ってことで。

フジテレビ騒動

遅ればせながら、21日のデモを前に私感というか。

メディア(フジ)側を擁護する人たちは「嫌なら見るな」というわけですが、もともと「見ない」っていってるツイートに対して的外れな話をしてるわけですね。
国から借りている電波(=日本国民の財産)を使ってるわけだから「公共性」の高い放送をしろ(韓国ドラマなんかよりも震災復興のこと含めもっと伝えなきゃいけないことがあるだろ)ってのが実はもともとの趣旨だったはず。
そうなはずなんだけど、反メディア側の論旨がノーモア韓流とか嫌韓とかそういうことだと認識していて、「公共性」なんて後付けだって意見すらある。

言葉を選ばずに言うと擁護側がアホすぎて議論にすらならないんじゃないかと。
「嫌なら見るな」という意識で番組制作をしているなら国民の財産たる電波を返上しなさい、と。
「嫌なら見るな」を通すなら、全世帯のテレビを対象に視聴率調査をすべきだと思う。
双方向を謳うデジタル放送なら出来そうな気がするんだけど。

「公共性」において、報道の公平性を保つことの重要性も指摘されていて、こんな騒動になっているのは昨今の偏向報道への不満に対しての爆発からでしょう。
ことさら右翼だのなんだのというけれども、こういう感覚をもっている一般人が増えただけなんじゃないでしょうか?

麻生元首相が漢字の読み間違いをしたりカップラーメンの値段を知らなかったことを大きく報道して、彼の功績や海外からの評価については報道せず貶めるばかりの報道をしていたと思えば、民主政権になってからは真逆で、今だって菅首相の公民権停止にすらなりかねない違法献金問題はあまり扱われていない。
功績を報道して擁護したいんだろうけど、民主政権の功績なんて何にもないから(強いて言うなら政治なんて誰がやっても同じって意識は間違いだと教えてくれたくらい)報道しようもないだけで、マイナスをただ隠すという姑息な手段をとっているわけですよ。

カップラーメンの値段を知っているかどうかと公民権停止になるような話とどっちが大きく報道されなければならないかなんて、子供にすら分かるでしょう?
あるいは、よど号事件絡みの団体への献金問題については表向き違法性はないから、事件性があるかどうかで報道しにくいとかいった辛抱某って気持ちの悪いアナウンサーがいますけど、漢字の読み間違いに事件性があったか?って話ですよ。
一国の首相がテロリスト絡みの団体に何千万円も献金していたことってのは、違法でなくてもモラルとしての問題だけで報道するに十分値する内容でしょうが。少なくとも漢字の読み間違いよりはね。

そうした偏向報道をやめて公平に善し悪しを評価したり、人権救済法案とか外国人参政権とか民主政権が復興やマニフェストそっちのけで通そうとしている法案の善し悪し(というか功より危険性が高いものだと思うけど)、そういう報道をちゃんとやるべきって話で、ノーモア韓流とか嫌韓とか、はたまた「韓日戦」表記の歪さとかは枝葉の部分(反メディア派の主張を矮小化するために矢面に立たされている内容)だと思うのです。

ここ数年、こうした気持ち悪さはずっとテレビに感じていて、確かにそれでテレビを見る時間は大幅に減ったけれども、こういう機会にもっと活発に議論されて「嫌なら見るな」なんて思考停止状態にするのではなく、あるべき姿としてテレビ局が変わってくれることを切に願います。

すっげぇサボったから忘備録を

久々に書くブログは忘備録。

ブログを書いていない間に、実況動画を作ってニコニコ動画にアップしたり、ニコニコ生放送を開始したりしてました。

動画の方はそれほど問題ないからスルーして・・・いやあるんだけど、Macでそれも非常に限られた環境でのことだからまあいっかということで。
環境自体はDVカメラ経由でキャプチャしてiMovieで取り込むけれども、音がエンコしたときにずれるってだけ。
つい最近Macを買い換えたので、今のiMovieだとどうなるかわかりませんから、とりあえずスルー。


ニコニコ生放送の方。

ニコ生はFMLEで高画質・高音質配信が出来るのですが、総ビットレート384kbpsまでにおさえないといけません。

で、FMLEではこの範囲内に収めていても、瞬間のビットレートは384kbpsを超えることがあって、その場合放送が止まります。

なので、384kbpsギリギリにしちゃうとダメなのは周知の通りなんですが・・・

最初は、映像230kbps+音声96kbpsの総ビットレート326kbpsでやってました。

しかし、最近やたらと止まるので、ニコ生が悪いのかと思ったのですが、ふとビットレートに思い当たり、映像200kbps+音声96kbpsの296kbpsに落としました。

するとかなり安定したので、ギリギリ画質を上げてやろうかと、映像210kbpsにしてやると、止まってしまう。

結局、映像200kbps+音声96kbpsに落ち着いたわけですが、どうも100kbps近くは落としておいた方が良さそうです。
映像に動きが少ない場合(動きはそこそこあっても画面中の色が画一化されているとかね)は、映像230kpbsでも大丈夫ですけど。

まあ、音声のビットレートを下げてやれば100kbpsも下げなくてもいいと思いますけど、ステレオでの配信をするのなら96kbpsは必要ですから仕方ないな、ということで。

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